「先生」は生徒の手本として勉強する姿勢を見せるもの
こんにちは。
今日も曇天です。やはり冬場もカラッと晴れた日が気持ちいいですよね。
私が思う塾の講師像について書きます。
塾の講師というのは、基本的には勉強を教える人です。
ただ、勉強さえ教えていればいいのかというとそうではない。
学校の先生のように生活指導や部活の顧問はないけれど、やはり担当する子の人生に関わるのです。
ある時は母親と相談して、その子の勉強のスケジュールを組んだり、ゲームにばかり熱中しているならば家庭と相談のうえでゲーム禁止にしたりと、なんらかの形でその生徒の人生に影響を与えるのです。教えている子が目の前で涙することだってありました。
そうしたことを踏まえたうえで、やはり、私は塾講師の仕事の中心は勉強を教えることにあると思っています。
以前、私が勤めていた塾では経営者が塾の先生は「教えるんではない、コーチに徹すんだ」と言っていました。つまり、「知識を伝える」のではなく、その生徒の「勉強を管理し、サポートする」ことが仕事だと言っていました。
私は「なるほど」と新鮮にその意見を受け止める反面、どうしてもすっきりしないものがありました。
なぜなら、私が今までの人生で薫陶を受けてきた何人かの素晴らしい先生は、その知識と人格によって私を魅了してきたからです。
私が自分もこうなりたい、この先生の授業が受けたい、と思った数名の先生は皆、常に自らが謙虚に学ぶ人でした。
その勉強に対する真摯な姿勢に心を打たれて、自分もまた勉強に邁進したのです。
「コーチに徹しろ」という言葉の裏には、その担当生徒のことをとことん思いやれという意味があったのだと思います。しかし、管理意識ばかりが強く、「お前にそんなことは言われたくない」と生徒に思われてしまったら先生としては失格です。周りを見ていると、実際、そうしたケースは少なからずあるように思います。
だから、私は生徒のことを見守りつつも、常に自分が学ぶ人であり続けたいと思っています。知識欲の無い先生の授業を聞いて、知的好奇心が育つ生徒などいるはずがないと思っています。
Curiosity(好奇心)からinnovation(変革)が起こるのです。
知的好奇心を持ち続けましょう。