英語と日本語の違いは「単語レベル」にも「文構造レベル」にも表れる
おはようございます。
みなさんはserendipityという単語を御存知でしょうか。
これは「幸せなことを偶然に見つける能力」といった意味で、はじめて聞くと「えっ、1単語でそんな複雑な意味なの」みたいな印象を持つ方も多いでしょう。私もその一人でした。
これに関して、私が改めて思ったことなのですが、英語という言語はいろいろなものを名詞化したがるというか、文を構成するときに名詞中心になっているなということです。それに対して、日本語は主語と述語という形で表記するほうが自然だということです。
上智大の安西徹雄先生もご指摘
これは上智大学名誉教授の安西徹雄先生もご著書で述べていることです。
例えば、
The news of his landslide victory in the election gave his supporters great pleasure.
という文を考えて見ます。
こうした文は文法書や参考書では時折、「名詞構文」という名で紹介されています。
この文章を律儀に英語で名詞になっている部分を日本語でも名詞で訳すとどうなるか。多くの中高生はそのように訳すわけですが、やってみます。
「選挙での彼の大勝利の知らせは彼の支持者たちにに大きな喜びを与えた。」
まー、これで意味は通ります。日本語としても間違っていないですし、仮に高校生がこのような訳をつくればマルがもらえます。
ところがです。
英文解釈と「自然な日本語」との差
上記の内容を自分が普通に話している日本語で、はたしてこのように言うだろうかと自問してください。
少し違和感がないでしょうか。
まず、冒頭の主語「~の~の知らせ」という感じで、長い修飾語の後に「知らせ」をつけるということが、自然な日本語ではあまりないように思います。
さらに、この文は「無生物主語」になっています。
「無生物主語」とは、本来なら生きているものが主語にくるべき文章で無生物が使われていること。
この文の動詞はgive「与える」なので、本来は人間などの、なんらかの動作をするものが主語にくるはずですが、ここではnews「知らせ」が主語にきています。
で、改めて文章を大きな視点で見てみると、
「~知らせは~与えた。」
と主語が「知らせ(は)」、述語が「与えた」になっていることに気付きます。
「~の知らせは~を与えた。」と、普段、日本語で言いますか?
人それぞれ話し方のクセや仕事上適切な言い回しなどもあるので、ないということはないかもしれませんが、少なくとも日常会話で一般的ではないと思います。
英語の構造と日本語の構造の違いに気づくこと
つまり、この英文を自然な日本語に訳そうとした場合、英語の構造に捕らわれてしまってはダメなんです。英語の名詞を日本語でも名詞にしようとこだわる必要はないのです。
例えば、
「彼が選挙で大きな勝利をおさめたことを聞いて、支持者たちは大変喜んだ。」
と訳せば、自然な日本語に近づくでしょう。
ここではnewsを「知らせ」と名詞で訳す代わりに「を聞いて」と意訳しています。英文では長い主部を作っていたThe news of his landslide victory in the electionを無理に日本語で名詞化せず、「彼が~を聞いて」と主語と述語の関係に置き換えているのです。
さらに、英文の主語であった名詞の構造を日本語訳では壊したわけなので、当然、次の動詞gaveの訳を変えなければいけません。主語と動詞は常にセットだからです。日本語訳ではgaveを「与えた」とは訳さず。ただ「支持者たちは喜んだ」とここでも「~は~した」という主語と述語の関係に置き換えています。
名詞構文で長い主語がきた場合は、主語―述語の関係で訳すと良いというテクニックは、良心的な参考書ならば時折見かける記述ですが、はたしてそれを理解しマスターしている高校生がどれだけいるかは、はなはだ疑問です。
以上、長くなってしまいましたが、ポイントは英語は名詞を中心に文構成をしたがるのに対して、日本語は主語と述語の関係で文章化したがる。だから、英語で名詞が使われているからといって、それを無理に日本語訳でも名詞にすることはない、ということになります。